川哲工業の歩み
川哲工業の歩み
ヒストリー
| 年月 | 出来事 | m |
| S48年 | 川方久放(現相談役)が川哲工業を設立、当時10人程で発足。 当時溶接は、HPC工法が盛んで、ノンガス交流裏波溶接が主流。 | |
| S52年頃 | 大阪駅ビル工事頃から、炭酸ガス溶接が現場溶接に採用し始める。 | |
| S61年頃 | 橋梁・プラント工事に着手させてもらったことにより、徐々に技量的に認められ始める。 S61年に有限会社川哲工業に | |
| S63年頃 | 超高層ビル溶接工事を任せられる様になる。 | |
| H2年 | 西日本AWがスタートする。 | |
| H7年 | JR京都駅工事を機にさらなる発展をする。 | |
| H12年 | 大本木ヒルズ工事に着手。 | |
| H18年 | 8月、出島工場竣工。 | |
| H19年 | 株式会社川哲工業へ改名し、明松哲が代表取締役に就任。 ベトナム人研修の採用などを行う。 | |
| H20年 | 堺シャープ工場から、工場建屋にも現場溶接が採用し始まる。 | |
| H20年頃 | 従業員100名規模に成長。 | |
| H20年 | 東京スカイツリー工事に着手。 | |
| R5年 | 創立50周年を迎える。 |

